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Channel: 三国志演義後半人物事典 諸葛孔明死後の三国志の世界
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中国人の鄧艾(トウ艾)将軍への評価をざっと書いてみた

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どうもっ!


諸葛菜です。




前回、中国人の姜維評を翻訳し公開させて頂きましたが 、なかなか辛口意見ばかりで、「姜維何やってるの?」票が多かったですね。



私のような姜維好きでも、なるほどね~と頷いてしまう意見ばかりでした。
まあ、姜維の評価というのは、概ねこんな感じだったんでしょう。



さて、今回はトウ艾ですが、私が知人にトウ艾の意見を聞いたのではなく、三国志に対する思い入れの強い中国人がネットでトウ艾に関する思いをぶちまけていたので、翻訳してみます。


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鄧艾・鄧忠(トウ艾・トウ忠)の墓



三国志演義後半人物事典 諸葛孔明死後の三国志の世界



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三国志に登場する人物の中で、最も私が惜しみ悲しむのがトウ艾だ。

このような天才は何年、何百年に一度出るのだろうか!トウ艾は果報者でもあったし、部下に対する温情も深かった。戦に関する才能は、生まれつき備えていたもので、まさに天才である。



彼は最終的に失敗したと言っていいかもしれないが、彼が天才であることに変わりはない。天才の光芒は、凡人からすると引け目を感じるほどまばゆいものだ。



天才というものは同時に悲劇的な宿命をおうことになるか、または、これは天才ゆえに持ってしまった過度な自信によるものかもしれないが、彼ら天才の持つ夢は遠大で実現するのが難しいものであることが多い。



そのため、道半ばで死んでしまうことも多いし、周喩や諸葛亮などは代表的な人物であろう。
私は、トウ艾もそのような天才だと思っている。



トウ艾の生まれは卑しく、彼がどれだけ大志を抱こうとも、周囲の人達からは軽んじられていた。中国の伝統文化の中で、その人の出生というのは非常に重要視される項目である。初対面の人と話す時は自分の出生や身分を称していた。

だから、劉備は自分自身が蓆売りでも、漢王朝に通じる人間であるということを常に言っていたのだ。
あの時代は、身分の高さが能力に比例すると思われてた時代だった。今ではおかしな考えだが、あの時代の価値基準ではそうだったのだ。


つまり、このような価値観が根付いていたので、幼い頃身分が低かったトウ艾が、軍事の天才であっても世間の人からは返ってバカにされていたのである。


しかし、トウ艾は幸運の持ち主と言って良いだろう。人材を発掘する天才に巡り会えたからだ。韓愈が言うには、「千里の馬はよく見かけるが、それを見ぬく人は見かけない」と言っていた。


トウ艾という千里の馬を発掘したのは司馬懿だ。彼の軍事的才能は、彼によって発揮できる場を与えられたと言える。



神は人より秀でた才能を与えると同時にそれを振るう機会を与えてくれるのであろうか?私はそうは思わない。


トウ艾の軍事的才能は蜀の姜維との攻防戦において、痛快極まりなく発揮されていた。

確かに、姜維の能力は抜きん出ていたが、諸葛亮の教えを受け継いでいたのである。


しかし、トウ艾は自分の能力をよりどころ(我流に近い)にして彼と戦ったのである。的道場の攻防戦、段谷の伏兵…トウ艾が掌を指すように蜀軍を追い詰めているシーンはたくさんあった。しかも、彼の神がかり的な才は、地理を頭に叩き込んでいたこと、姜維を深く理解していたことである。



トウ艾にとって相手の姜維もありふれた輩ではない。が、姜維の才能は返ってトウ艾の尋常ならざるところを際立たせた。


姜維が八卦の陣を敷いたり、陣合戦で優位に戦いをすすめていた中、トウ艾は深手を負ってしまったが、トウ艾は逆に反計を使って、姜維を撤退せしめた(蜀の黄皓に使者をやり、姜維を撤退させる勅を書かせるよう仕向けた)。


いつもトウ艾が勝っていたわけではないが、勝敗は別にしてトウ艾は姜維の侵入を防ぐことに成功している。このため、姜維の北伐はその数だけ失敗している。



もちろん、姜維の北伐の失敗の影には政治的な問題も絡んでおり、姜維が能力不足だと決め付けることはできないし、もし、トウ艾のような武将がいなかったら、歴史は多少変わっていたかもしれない。



トウ艾の非凡な才能は、周囲の人からも称賛され、陰平の険をわたっての神出鬼没な戦いぶりはまさに神がかりと言ってよかっただろう。



非凡な才能を持っていた鐘会であったが、トウ艾が陰平を越えて成都に攻め入るとはバカなことだとあざ笑った。天才といっても様々な種類がいるものである。



他の人が思いも付かないことを思いつき、できもしないことをやってのける・・・トウ艾は自分で思いつき、自分で実行していける才能を持った人物だったし、彼が一番輝いていたのは、この頃であろう。



天才が光芒を放つ時が、一番危険な時期であるといっていい。
軍事の天才トウ艾は、成都を落とすことに成功した時にその幕が下がったと言える。中国の古いことわざで「森の中にある抜きん出た大木は必ず大風に煽られる(日本で言うと出る杭は打たれるですな^^;)」がある。



一人で大功をおさめてしまうと、周囲の風当たりが強くなり、多くの人から恨みを買ってしまうのだ。

トウ艾の傑出した才能は・・・司馬昭からも疑われ、鐘会に恨まれた。


この二人に図られたら、トウ艾でも逃げることはできない。
哀れなトウ艾は、味方の刀の下に殺されてしまった。


彼の死を思い返してみると、彼の功績はあまりに大きかったことと、自分の才能に自信を持ちすぎて、他人よりも常に高い地位に居たかったことであろう。

この辺りは謙虚さにかけていたと言わざる負えない。自分が功績を上げたことで、周囲からどんな目で見られるかをもっと客観的に考えるべきだったのではないか・・・と思うのである。


今も昔も、謙虚な心が必要だということだ。出る杭は打たれる。


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三国志演義後半人物事典 諸葛孔明死後の三国志の世界


まあ、特に目新しい切り口でも無かったですが、トウ艾の「ちょっと周りが見えなくなっていた感」がよくわかりました。


中国では出る杭は打たれますね・・・。歴史でも証明されているように、功臣の多くは最終的に粛清されたり、不遇をかこつことになるか、自分で独立しようとしますね。



今の中国もそう。

一般企業でも、能力があり成績のある中間管理職は、睨まれます。
能力のある人は会社を踏み台にして、自分で独立したほうが儲かると思うし、中国人と日本人の組織に対する考え方も違います。



日本では大きな組織を作って、その組織を盛り上げていって、多くの雇用を生み出しそこで生活(働く)していくことが一般的です。だから大企業で働くことは、社会的信用もあるし、働く方も安心感があります。



中国の場合、就職先のネームバリューも評価すると思いますが、中国人は大きな組織の一人として金を稼ぐよりも、小さな組織でも頭を張ることに重きをおきます。


小さな会社でもトップにたてば、収入は数倍にもなりますし、自分の思い通りに事が運べます。



中国の組織は日本ほど結束が強くありませんし、よく言われるのは、「一人の中国人は手強いけど、十人の中国人は手強くない」です。


かなり話がそれましたが、トウ艾もまた悲運の武将…。
姜維ともどもドラマちっくな漢でござんした…。



トウ艾将軍に敬礼!!



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