どうもっ!
諸葛菜です!
久しぶりの更新となってしまいました。
最近は仕事が忙しくて・・・三国志演義後半に登場する出落ち、雑魚、モブ武将が底を尽きかけているっていうのもあるんですが・・・とにかく、ブログを更新出来ませんでした。
三国志演義前半はまだまだいじれますねw
なんせ、雑魚、出落ちの数が半端ではない(^_^;)
さて、今回の内容ですが、諸葛菜の知人の中国人たちの姜維評。
まあ、彼らは三国志の専門家でも歴史家でもないので、あくまでいちファンたちのつぶやきだと思ってくれれば幸いです。
目くじら立てて論じることでもないと思うのでね。
「姜維は結局蜀の人民を疲弊させて、蜀を滅亡に導いてしまった」
「姜維の暴走は、自己の保身のためじゃねえか?益州閥と荊州閥があったけど、姜維は天水あたりの出身だから、言葉も通じないし、派閥組めるほど天水の人間って蜀にいたか?」
「ああ、絶対言葉通じないだろ・・・。うちらだって、四川のど田舎の農民がしゃべる四川語聞いたってわからんだろ?慣れれば話せるにしても、今と違って、標準語の母体がないからキツイだろ」
「そんな状況だから、成都にいたって、姜維の居場所はないだろ?まともに天水方面の言葉で話せるのは、馬岱くらいしかいないだろw」
「だけど、諸葛亮は純粋に姜維の才幹に惚れ込んで後事を託したんだ。それと、派閥云々というのなら、派閥もしがらみのない姜維の方が、自分の意志を継いでくれると思ったんじゃないのかな?」
「諸葛亮も派閥とかにはこだわっただろうし、人脈については聡いはずだから、蜀に人脈のない姜維に託したのは、悩み悩んだ結果だろう。才幹もあって人脈があった人物の方がいいだろうし・・・」
「とにかく、姜維が蜀を滅亡に導いたのは確かだ」
「やっぱあいつはアホだな。頭良くないよ。孔明ですら倒せなかった大国魏に戦いを挑み続けたんだから!」
↑
君は費イかw
「姜維はやっぱり成都では浮いていたんだよ。諸葛瞻や他の武闘派(いたの?(゚д゚))と連携することもなかったし、上奏文が宦官に止められてるって分からなかったのかな?」
「鐘会と組んで謀反しようとした時も、降伏した蜀の連中をもっと使えばよかったのに。自分の部下と鐘会の私兵だけで蜀を乗っ取ろうとする考えがあまいわ。っていうか、派閥も人脈もなかったのでだめか」
「北伐って言ったって、絶対に保身だろ・・・。蜀国内での発言力を強めたかったから出兵しまくってたんだ」
他にもいろいろありましたが、話が廖化や張翼にそれたりしてしまったので、このへんにしておきます。
あくまでいちファンたちのつぶやきなので、鋭く突っ込む必要もないのですが、皆さん一貫して「姜維の北伐は保身のため」という意見でした。
人脈もあまりない彼が、諸葛亮の遺命と才幹で重職に就いたわけですが、現実は想像以上に厳しかったんでしょうね。そんな自分の立場を考えると、発言力に乏しく、大きな功を立てないと話にならなかったのかもしれません。
そうなると、保身のためというのはあながち間違っていないかもしれません。
三国志演技後半部分については、彼らはたいへん冷めた目で見ていましたね。
全然おもしろくないそうですw孔明死後は(^_^;)
私は、このブログでも述べてきている通り、姜維が奮戦しなければ、三国志演義も一二〇回まで行かなかったでしょうし、やはり、斜陽の国を支える孔明イズムを継いだ麒麟児を応援してしまいます。結果や戦犯だということもわかっていますが。
中には、「姜維の死は晋国以降に惜しまれた」と言っていた人もいました。
私は西晋以降は詳しくないのですが、蜀が晋となり、その晋も内部乱れて、国が分裂、異民族も中華に入り込んだりして、蜀の統治者も変わったでしょう。
そんな時に四川の人民が、「あの時、姜維さんが鐘会さんをうまく騙して蜀を統治していれば!」と思った方もいたかもしれませんね。
特に真新しい見解はありませんでしたが、中国の人って保身には敏感ですよね。
既得権益、自分の地位を守るために闘争することが好きな人達が多いですし、保身に躍起になるため、内部がまとまらない。
日本は国でも、大企業でも派閥などがあり、国として大きな目標を定めても、権益が絡んだりしてなかなか物事が進まないということはあります。
ただ、中国は国や大企業はもちろん小さな組織でも、大きな目標に向かって全員で努力するというのが苦手ですね。ほんとまとまりのない人民というか・・・それはいいとして、こういった背景があるから、保身にこだわるんでしょうね。
姜維評は中国語サイトにもありそうなので、こちらも探ってみます。
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