どうも!
諸葛菜です!
孫キンだろ?知ってるよ~!
杜預に蹴散らされたモブ将軍どもの一人だろ?
う~ん、わかっている人は少ないでしょうな。
後期、否、末期の呉と言ったら孫皓の横暴が目につきますよね。
演義に出てくる武将と言ったら出落ち死体武将ばかり。
しかし、末期呉を救うべく駆り出された立ち上がった武将たちもいるのです。
その一人目、孫キン将軍です。
孫キンのウィキリンク
演義第120回。
司馬炎は呉討伐を決意。
杜預、王濬を始めとする猛者どもに大軍を率いさせ、南下。
孫皓は丞相張悌、司徒何植、司空トウ修を呼び寄せ迎撃策を協議。
「驃騎将軍孫キンに夏口その他の敵勢を防がせましょう」
孫キンは呉軍の先鋒となって、晋の精兵を迎え撃ちます。
手に汗握ります。
相手はあの杜預ですから。
両軍衝突。
しばらく戦ったあと、杜預が退却。
勢いに乗って孫キンが追撃します。
が、そんなに話はうまく行きません。当然です。あの杜預ですから…。
伏兵に弓を発射され、更に杜預軍が反転。
呉の兵士が次々と討ち取られていきます…。
「退却だあ~」
城へ閉じこもって閉門。
これで、籠城すればしばらくはもつ・・・。
と、思ったら敗軍の中に杜預の配下周旨とその部下800人が紛れ込んでいました。
孫キンは大仰天。
「晋の軍勢は、長江を飛んで渡ったのか!」
これが断末魔となり、周旨に両断されました。
…すばらしい。
最終回でのモブ武将、もしかしたら孫家の皇族の方なのに、この散りざま…。
Good!!
で、ウィキを見てみると、
79年、晋が呉討伐戦を起こすと、防戦にあたった。翌280年、晋の杜預が管定、周旨、伍巢らを率いて奇兵800人で舟で楽郷に夜襲を仕掛けると孫歆は大敗した。孫歆は味方の伍延に手紙を送り、「北から来た軍は空を飛んで江を渡ってきた」と告げたという。その後も連戦連敗し、孫歆は捕虜となり、身柄を洛陽に護送されたという(『晋書』「杜預伝」)。
参照元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E3%82%AD%E3%83%B3
死んでねえぜ、孫キン…!
羅貫中御大のモブいじりここに極まれり。
コーエーも羅貫中にいじられた孫キンをイメージしての顔グラフィック作成。
恐るべし羅御大!!
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