どうも!
諸葛菜です!
先日の記事で、両晋演義と東西晋演義がダメダメで結局買う気が失せてしまったことを
書きました。
件のページにはもう一冊晋関連の本が紹介されており、レビューを見る限り随分マシな作品のようです。
その名は『秦凉造反』。
演義をつけずにシンプル且つわかりやすいタイトル。そして、異民族の犯行であるが如く「造反」という言葉を使っています。
では、レビューを翻訳してみましょう。
レビュー~~~~
東西晋・五湖時代ファンにとっては朗報だ。連環画(絵本劇画)の秦凉造反が発売された。私は好奇心を抑えられず、60元の大枚をはたいてこの本を購入した。晋の時代を描き出した秦凉造反について簡単に書いてみた。
この本を手にした時、目を奪われる程の装丁でもなし、どうもぼんやりとした古ボケた雰囲気だった。しかし、持ってみると重厚感があり、古ぼけた歴史の激しい移り変わりを描いた書物であると感じさせてくれる。
本を開くと、概要が詳しく書かれており、作者が東西晋に関して詳細に編集したのだろうと思われる。登場人物が多く、詳細な記録があまり残っていないので東西晋の物語を作るのは至難の技である。
秦凉造反は良くまとめられているし、作者の努力が感じられ、東西晋の歴史に興味をお持ちの方には満足いただけるものと思う。
一つの優秀作品と読んでいいただろう。絵は三国演義などで使われている画風であり親近感を抱ける。東西晋の物語の中では『秦凉造反』は成功例と言えるであろう。晋の武帝司馬炎が曹奐から皇帝の座を奪い、西晋の基を築いた。晋の武帝は自分の政権を過度に維持しようと努めたため、分封制をしき官吏を甘やかし過ぎた。物語の始めの部分では両晋演義の原著と違い、司馬家の軌跡を簡単に説明している。
鮮卑人の樹機能は連年飢饉、災害に襲われたため、朝廷に救いを求めた。
しかし、朝廷は一切この地の民を顧みることはなかった。このため、樹機能は民を糾合して反乱を起こしたのだ。
秦凉造反の読者は、物語の中で晋の武将牽弘が殺されたシーンを覚えておいでだろうか?東西晋演義や両晋演義では描かれてはいなかった。牽弘が「殺された」という史料は見当たらない、秦凉造反では仮想の描写が織り込まれている。
「魏志・牽招伝」には一文が書いてあるのみである「271年、北地郡の異民族が金城郡を攻撃し、涼州刺史牽弘は討伐するため出兵した。牽弘は勇猛であるが謀略なく、羌族らにおびき出され青山で包囲されて死亡した」史料には勇ましく戦って死んだとある。
史料ではこの戦に関するまとまった史料はなく、どのような戦いで、牽弘自身がどのように敗北し死んだかは書かれていない。
しかし、秦凉造反では物語として楽しめるよう仕掛けがしてある。北地郡の異民族北地の狐と呼ばれた劉猛は、小さな集落の頭目にしか過ぎないが、朝廷の大軍と戦い、牽弘を牽制した。
秦凉造反の作者は、ただ単に歴史の断片を拾い上げたのではなく、物語として読めるよう設計し、なるべく歴史に沿った形でこの作品を完成させている。
幾つか問題点を上げるとすれば、表紙と本文の挿絵に違いがありすぎることである。集落に住む民間人が蜂起したとはいえ、武器が貧弱すぎやしないか?表紙の鮮卑人は金髪である。これには根拠があり、鮮卑族の容貌は金髪碧眼である記載があるのだ。
鮮卑人の血統については謎であり、様々な説がある。バイカル湖周辺のヨーロッパ系、北アジアのモンゴル系またはシベリア系ではないかと言われている。この点からも、表紙の金髪キャラは史料と隔離していない。
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挿絵は三国志絵巻物っぽくて私は好きです。
この絵巻物、どうせ中国のことだから、無料でダウンロード出来るだろうと思っていたら、無料ですべて見れるページは見つかりませんでした。
きっとあるはずなのですが…今度時間のあるときにでも調べてみましょうかね。まあ、しばらくしたらただで見れると思いますけど^^;
ネット上にアップされているページがいくつかあったので上げてみます。
懐かしい!
この時代の小説でミスタートウ艾を拝見すると、ものすごく懐かしく感じますw
後ろではためいている魏の旗がなんとも言えない。
そして、トウ艾様の「お人柄の良さ」がにじみ出ている挿絵ですね!!
牽弘閣下、喉元に矢が刺さって痛そ~!
無茶やったんでしょうね。おびき出されて、気づいた時にはすでに敵の陣中のど真ん中。
完全に包囲されて、近習の者達も全滅。
なぶり殺しですな。
姜維との戦いでは、自分のネーム入りの旗を掲げただけで笑われたり、戦ったら戦ったですぐに10里後退したりと、ヘボキャラかと思いきや勇猛果敢だったんです。
牽弘はさておき、この『秦凉造反』は面白そうですね!
主役である鮮卑族の樹機能たちの活躍が面白そうです。
晋の話だけれど、この反乱は270~279年までのようですから、かろうじて三国時代ですよね。時代のくくりでは。
異民族の反乱というと、つい最近大魔国の天安門という場所で発生した、車炎上事件が真っ先に思い浮かびます。
個人的に、あの事件はウイグル人たちとは思えないのですが、時の政府は無理矢理事件に仕立て上げて、少数民族の浄化を狙っているようにしか見えません。
反乱や造反という言葉で彼らの行動を決定づけるのは、いつの政府も変わらんですな。
私はこの本を読んでいませんが、樹機能たちが英雄扱いされていたら、この時期だともしかしたら発禁するかもしれませんね、大魔国政府^^;
三国志後半をもっと多くの人に知ってもらいましょう!
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