どうも!
諸葛菜ですっ!
今回は傅カさん。
知らなくて当然です。普通なら演義を読んでいても目につきません。
端役でしたし。
三國志9では確か登場していたかと思います。
ウィキにもありますが
、
曹爽一派の何晏、李勝などが全盛期の頃、傅カは彼らと与さず、コツコツと仕事をしてきた人なんですね。
李勝の統治がいい加減だったけれど、後任の傅カはしっかりと統治をして引き締めをはかったようです。
登場回は第110回。
カン丘倹が義兵を起こした時のこと。
司馬師、鍾会はじめ演義後半の知勇兼備の将軍たちを引き連れ、魏本国より、カン丘倹討軍が出陣!
カン丘倹は北方の異民族征伐で名を上げた武将ですから、相当能力は高いです。
まあ、このカン丘倹の乱自体は、坂を転がるように崩壊へと向かっていったのですが・・・。
それもすべて魏軍に智将が多かったから。。。
その参謀の一人が傅カさん。
カン丘倹が攻めようとすると、南方の呉の孫峻に背後を脅かされてしまうので、カン丘倹は一度寿春へ引き上げました。
司馬師は諸官を集め協議。
傅カは
「カン丘倹が兵を退いたのは、呉の軍に寿春を突かれるのを恐れてのことにほかなりませぬ。必ずや項城にもどり、兵を分けて防ごうとするでござりましょう。これより一軍を楽嘉城に一軍を項城に、また一軍を寿春に差し向けられますれば、淮南の軍勢の退くことは疑いござりませぬ。エン州の刺史トウ艾は智謀に長けたものゆえ、彼に楽嘉を衝かせ、さらに大軍をもって加勢いたしますれば、造作なく賊を打ち破ることがかないましょう」
この作戦はどんぴしゃり。
作戦遂行中、文鴦の奇襲と彼の無双能力が予想をはるかに上回っていたことで、誤算が生まれましたが、カン丘倹退治は成功しました。
カン丘倹に止めを刺したこの計略。
状況分析がしっかりできていて、カン丘倹のステータス、行動パターンを知り尽くした上でのナイスアイデアでした。
この戦いの時も司馬氏の周辺に優秀なブレインがたくさんおりましたな。
鐘会、傅カ、王粛、鄭ボウ、王基。現場武将では石苞、胡遵、諸葛誕・・・。
カン丘倹・文欽コンビが勝てる見込みは薄かった。
傅カ並のがゴロゴロいるとして、そんな国と戦って孔明死後30年持ちこたえた蜀は大したもんです(^^ゞ
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