どうもっ!
諸葛菜です!
鮑三娘って三國無双で初めて知りました。
この人が実在したかどうか、ろくに調べることもなく、盧遜さん や兪渉さん と同じ架空武将だろうと勝手に思い込んでいました。すみませんm(__)m
お手軽にウィキって見たら、随分詳しく鮑三娘さんのことが載っていました。
詳しくはウィキリンク
をどうぞ。
あと『花関索伝』という作品もあるので、こちらもウィキってみてください。
方三女は鮑ガイという人の三番目の娘で、美人な上に腕っ節も強く、そんじょそこらの男共では彼女に敵わないという、まさに男顔負けの豪傑。
「自分より弱い奴とは結婚しねえ!」
というくらいの超肉食系、体育会系女子でした。
当時、関羽は荊州で放浪中、その際、関羽の息子関索は鮑三娘の噂を嗅ぎつけ、手合わせすることに。
さすが腐っても(腐ってないw)関羽の息子。
50合程打ち合った末、鮑三娘は関索に打ち負かされてしまいました。
これに惚れ込んだ鮑三娘は強引に関索と結婚。
関索も、この娘美人だしwってんで速攻でスピード婚。
美髯公関羽オヤジもビックリの破天荒な展開でした。
昼の槍だか矛での殴り合いのあとは、真夜中に真っ裸でスパーリング。
その後、
関索は諸葛亮にしたがって孟獲退治。
鮑三娘は葭萌関を守備することで離れ離れに。
関索の死については、孟獲征伐の時に死んだとか、蜀滅亡の最終決戦で死んだとか様々な説があるそうです。
羅貫中も諸葛亮
の南征を創作したのなら、張嶷
をやられキャラに仕立てず、鮑三娘を南征に連れて行って、孟獲の妻祝融夫人とキャットレスリングをやらせた方が、後世へのうけが良かったのかなと思います。
で、鮑三娘のお墓ですが、現在は四川省広元市昭化古城北5kmの場所にあります。
南北に21m、東西に19mの小山にお墓があるのですが、盗掘されたりしてちょっと荒れているようです。
鮑三娘のお話は架空であるとの説が強いようですが、お墓があるというもの不思議なものです。
はっきりと『漢将軍関索妻鮑夫人之墓』と書いてあるそうですし。
近代、中国が国民党の勢力が強かった民国3年(1914年)に、あるフランス人に墓を荒らされ、骨や漢代のレンガに描かれた絵画などを盗まれてしまったそうです。
四川省人民政府は1996年、鮑三娘の墓を省級文物保護単位に定めました。
まあ、これも本当かわかりませんが、鮑三娘に関する一説を載せておきます。
263年、魏の大軍数十万が三路に分かれて蜀へ侵攻した。
魏の大軍は葭萌関に達し、姜維はその土地の地形に詳しい関索、鮑三娘に守備を命じた。
鐘会は漢水に迫り、蜀軍が寡兵でもって魏軍の渡航を防いでいたので、魏軍は攻撃範囲を広げ、一斉攻撃に出た。関索は奮戦し、魏の武将を多く打ち取った。
戦場ではなんと、関羽が殺したホウ徳の息子ホウ会と遭遇。
仇同士、まさに因縁の対決。両者の目は血走り、激しくぶつかりあった。数十合に及ぶ戦いだったが、すでに疲労困憊であった関索にとって、強敵ホウ会は相手がワルすぎた・・・力尽き、支えきれずついに川へ落とされてしまった。
この時、鮑三娘も魏軍に囲まれ奮闘中。衆寡敵せず、いくら猛将の彼女でも全身に刃物傷を負い、絶命。人々は鮑三娘をいつも兵の訓練を行なっていた場所に埋葬した。
鮑三娘については、コーエーテクモゲームスの創作萌えキャラだと思って、全然マークしていませんでした^^;。
彼女もそうですが、関索も意外と話題があるんですね~。
今度は関索も調べなくちゃ。