Quantcast
Channel: 三国志演義後半人物事典 諸葛孔明死後の三国志の世界
Viewing all 106 articles
Browse latest View live

東呉の南斗五車星4人目! 陶濬(トウシュン) 末期呉を彩ったモブ特集weekです!

$
0
0


どうも!


諸葛菜です!


五車星3名が倒れてもあきらめない漢がここにいたっ!
それが陶濬


演義第120回。


孫キン、伍延、陸景が討死。
さらに、丞相の張悌、将軍の沈瑩も乱戦の末討死しました。


呉軍の大先鋒隊が崩壊し、チェックメイトまでのカウントダウンが行われています。


各拠点を守る将兵も、晋の旗をみただけで降参するという士気の無さ。


孫皓は不思議でならない。なにゆえ戦わないのか・・・と。


陶濬曰く、

「今日の禍いを招きましたは、すべて岑昏の罪にござります。なにとぞ誅戮されますよう(略)」


武将たちは岑昏を引きずり出し、粉微塵にした上、その生肉を喰らいました。


腹ごしらえ完了の陶濬は、


「臣の手にはただいま小さな兵船しかござりませぬが、もし二万の軍勢と大船をいただけますれば、必ず敵を破ってご覧に入れまする」


すぐに準備をして、出陣っ!


って、時ににわかに大風がおこり、ごの旗指物がすべて逆さになって船の中に突き刺さった。


これを見た将兵は一目散に逃亡。

そりゃあ、逃げるわ…。


抜粋
のこったのは張象と兵士数十人だけであった。


あれ?言い出しっぺの陶濬は?



羅貫中も彼の行方について触れるのも嫌になったのか、何も書かれていません。


大風に吹き飛ばされたか、トンズラしたかのどちらかでしょう。降参すらしなかったっぽいです。



この変わり身の速さ、要領の良さ・・・

さっき喰った岑昏のDNA作用か?



生肉っ!と思ったら!


三国志(歴史)ランキング


武将を探すときはここからどうぞ!

↓ ↓ ↓ 

!!三国志後半武将人物名鑑 !!




三国志演義後半の文献はこちらから

三国志を知るためのおすすめ書籍…と参考文献リスト


東呉の南斗五車星5人目! 張象 末期呉を彩ったモブ特集weekです!

$
0
0



どうも!


諸葛菜です!


呉の五車星シリーズもいよいよ大詰め。

最後はどんな小物が登場するのでしょうか?


そう、張象さんです。


張悌、沈瑩、孫キン、伍延、陸景死す!


切羽詰まった孫皓は、陶濬の願いを聞き届け、2万の軍勢を与えて、王濬軍を迎え撃たせました。


陶濬、張象は軍勢を整え、さあ、いくぞっ!

という折りしも、大風が吹き荒れ、旗指物が全て逆さまに呉の兵船に突き刺さった。







「この世の終わりだ―!」


呉のアルマゲドンを予感した将兵らは、我先にと逃げ惑い、嵐が去った後、現場に残ったのは張象以下数十名…。


陶濬ももちろんバックれているし…。


つーか、張象、貴殿よく残られた!偉いっ!


逃げ遅れただけかもしれないけど…。


しかし・・・この無勢で晋軍に挑むのは自殺行為です。


逃亡しても無駄です。
張象は手勢を率いて、王濬もとへ投降して行きました。





いや、一応戦おうとはしたんスけど・・・気づいたらみんないなくなってたし・・・



「生かしておいても(略」


とはならず、


「もし本心より降参してきたのなら、先手となって功を立てよ」






おーいっ!おれだ~!



張象は船を戻して、石頭城下に入り、開門させます。


晋の大軍がなだれこみ・・・一気に投了!




張象っ!と思ったら!


三国志(歴史)ランキング


武将を探すときはここからどうぞ!

↓ ↓ ↓ 

!!三国志後半武将人物名鑑 !!

三国志演義後半の文献はこちらから

三国志を知るためのおすすめ書籍…と参考文献リスト


「も、もうダメだー!」

PR: 【新登場】ScanSnap iX500

$
0
0
ファン待望の新モデルが登場!全てを一新した「iX500」 ★今すぐチェック>>

張悌 末期呉の最後の丞相!晋の王濬、杜預の南下に最後まで抗った忠臣!

$
0
0

三国志後半武将人物名鑑


どうも!


諸葛菜です。


今回は呉の最後の丞相、軍師張悌様です。

張悌様は優秀なのですが、いかんせん演義最終回に登場、三国志ファンの目にあまり触れることなく散っていった名将です。



張悌のウィキリンク



演義での登場は第120回。最終回です。


ついに晋の皇帝司馬炎が呉討伐を決意!
大将軍杜預、龍驤将軍王濬に命じ20万の大軍を率い、呉の首都を目指して南下しました。


これには暴君孫皓も大慌て。すぐに張悌、何植らを呼んで軍議を開きました。


張悌が早速発言しました。


「車騎将軍伍延を都督として江陵に出陣させて杜預を迎え撃たせ、驃騎将軍孫キンに夏口その他の軍勢を防がせるがよろしゅうござりましょう。非才ながら、臣が軍師をつとめ、左将軍沈瑩、右将軍諸葛靚と兵十万をひきいて牛渚に出陣し、諸方の軍勢の後詰をいたしまする」


さすが、名軍師。
今あるだけの戦力(多少なりとも使える武将)を適所に配置し、迎撃態勢を提案しました。
孫皓はすぐに案を受け入れ、張悌に迎撃を命じました。


しかし・・・
三国志演義後編、三国志人物辞典 諸葛孔明死後の物語と活躍した武将、マイナー雑魚武将を書こう!
そ、孫歆(ソンキン) ー!!?(ノДT)



三国志演義後編、三国志人物辞典 諸葛孔明死後の物語と活躍した武将、マイナー雑魚武将を書こう!

り、陸景 ー!? 。゚(T^T)゚。

三国志演義後編、三国志人物辞典 諸葛孔明死後の物語と活躍した武将、マイナー雑魚武将を書こう!
ご、伍延(ゴエン) っー!?∑(゚Д゚)


次々と討たれていく呉の五車星達っ!!

まるで熱いナイフでバターを切るが如く・・・。


聖闘士星矢で言うとブラック聖闘士並の扱いで片付けられています。



晋の大軍の勢いは呉の将軍達では支えきれないのみか、奇妙な暴風が起き、呉の将兵の士気もゼロです。



場面変わって張悌。
諸葛靚、沈瑩を従えて晋の大軍を迎え撃ちに出陣していました。
沈瑩は、晋の勢いは凄まじく、ここまで来ることは必定。命を捨てて戦うまでと、決死です。


諸葛靚も一言。


「いかにも」


貴殿ら…この東呉の地で命を散らすか…。



しかし、注進がやってきて、『晋の軍勢は強すぎる。到底支えきれませぬ』と報告。


これに腰を砕かれた諸葛靚は、降参したらどうだと張悌に提案しました。


諸葛靚「3Mだよっ!(マジ・もう・ムリ)」
三国志演義後編、三国志人物辞典 諸葛孔明死後の物語と活躍した武将、マイナー雑魚武将を書こう!
兵「張悌様っ!ここはもはや支えきれませぬ!!( ゚д゚)」



張悌は諸葛靚の言葉に落涙して、


「呉が滅びんとしているのは衆知のことじゃ。いま、もし君臣共に降って、誰一人、国難に死ぬる者がないとあっては、恥ずかしいことではないか!」


諸葛靚は涙を流して立ち去り、張悌は沈瑩とともに晋の大軍の真っ只中へと斬り込みました。
張悌はただ一騎、奮戦力闘して乱軍の中で斬り死にしました。



末期の呉は孫皓の暴政と岑昏が原因で衰退しましたが、張悌はじめ、国難に殉じた者がいたので、小説の最終回としては良かったのかなあ・・・と。


三国志7でも張悌は登場。
末期呉では最前線で活躍してもらっています。
ゲームだと、呉は蜀よりも武将の数は多いけど、姜維などの圧倒的なステータスを誇る武将がいないのでキツイです^_^;


張悌かっこ良かったです。
于詮 といい、張悌といい男気のあった武将でしたなあ…。


張悌いいね!

三国志(歴史)ランキング


三国志正史と三国志演義の違い 三国志初心者の教科書選びは慎重に(汗)!



三国志演義後半の文献はこちらから

三国志を知るためのおすすめ書籍…と参考文献リスト

鐘会 冷酷?野心家?許儀殺し?俺に取っちゃあ褒め言葉だぜ!

$
0
0

どうも!


諸葛菜です!


無双やゲームのおかげで、三国志後半ファン以外にも有名になった鐘会将軍ですっ!



鐘会(225-264年)

父:鐘ヨウ 兄:鐘イク


鐘会のウィキリンク


参考記事:鐘イク



許儀殺しの犯人ですっ!許チョファンの方は煮殺しても飽き足りないはずっ・・・∑(゚Д゚)


さて、鐘会。


こいつは三国志演義文庫本の最終巻の表紙を鄧艾と共に飾りました。



三国志演義後編、諸葛孔明死後の物語と活躍した武将、マイナー雑魚武将を書こう!

なかなかりりしい人形さんです。


鐘会の初登場(第107回)と言っても、名前ですが。夏侯覇が恐れる魏の若手2名、それが鐘会と鄧艾でした。


「気鋭の若者が両名ござる。実に呉・蜀にとって用意ならざる敵となるでござろう」


諸葛亮、関興、張苞らを失った蜀にとっては魏の気鋭の若者は勘弁願いたいところ。


夏侯覇も酒の肴にと、エピソードを紹介。



魏の皇帝曹丕に鐘毓と鐘会が謁見。

当時、鐘会は7歳、鐘毓が8歳。


鐘毓が皇帝の前でおそれおののき、満面、汗みずくとなっていた。


「おそれおおくて、汁のごとく汗が出るのでございます」


と、鐘毓が回答。


対する鐘会は、

「おそれおおくて、汗も出ませぬ」


と返答。


エピソードを交えて、姜維が後々苦労しそうな相手を紹介。伏線をバリバリと張る羅貫中。気合十分です。



鐘会のデビュー戦は第110回。

曹芳の廃位に怒った毌丘倹が義兵を挙げた回です。


司馬師は目の下のこぶを切り取ったばかりで療養中。


「こぶを切ったばかりで出陣したくない(_ _。)」


と渋る司馬師に対し、鐘会は、


「かの地の軍勢は盛況で、勢い当たるべからざるものがあり、めったなものを遣わされては、かえって味方の不利を招く恐れがござります。仕損じた場合は、ただごとではすみますまい


最後の一言は、軽く脅しはいってませんかf^_^;。

のち、尹大目が司馬師の死期を予見しましたが、この時点で悟った鐘会。さすが、腹黒策士。この病体に対し、出陣をごり押しです。


毌丘倹の乱を鎮圧しますが、鐘会の思惑通り、司馬師は術後の経過が思わしくない&文鴦 の無双のおかげで死んでしまいます。



第112回では、諸葛誕が反乱。


司馬師の弟司馬昭が鐘会を呼び出し、諸葛誕を破る策を練ります。


鐘会が言うのに、

「呉の軍勢が諸葛誕を助けているのは、欲につられてのことに他なりませぬ。よって利を持って釣れば、必ず破ることがかないましょう」


司馬昭は、鐘会の言に従い、慰問の品々を置き去りにして諸葛誕の援軍に来た呉軍をおびき出します。

これを散々に破り、鐘会の計は的中。


鐘会は更に、


「いま諸葛誕は敗れたりとはいえ、城内に十分な糧秣をもち、呉の軍勢と掎角の計をとっております。わが軍は四方を囲んでいるものの、生ぬるいやり方では、敵を守りを固めましょうし、力づくで攻めれば命がけで斬って出てくるでございましょう。そこへ呉の軍勢に背後から攻められたら、味方に勝ち目はございませぬ。むしろ、南門を空にして、敵をわざと逃がして追い討ちをかければよろしゅうございます。必ず勝つことができます。呉の軍勢は兵糧にもこと欠いているのは必定。わが軍が糧道を断てば、戦わずして壊滅いたします


これを聞いた司馬昭は彼の背を撫ぜ、


「そなたは、まことにわしの子房(張良)じゃ」


とご満悦。


諸葛誕を屠り、捕虜の処分を司馬昭らと協議。


参謀の一人が、「生き埋めにしちゃえば?」と、発言。


鐘会はこれに反対。

「いや、それはなりますまい。いにしえの大将は、国を全うすることを持って目的とし、その元凶を除くことだけでことたれりといたしたものでござります。彼らをことごとく生き埋めにするなぞは、もってのほか。むしろ国許へ帰してやって、中国の寛大さを見せてやるがよろしいと存じます」


「いかにも妙論じゃ」


と司馬昭も大賛成。全員、呉に帰しました。



この頃は、司馬昭からは鐘会の野心は見透かされてはいなさそうですね。


ただ、ウィキにあるとおり、王元姫さんからは常々「鍾士季は利に目を向けて義を忘れ、何でも自分でやりたがる人です。恩寵が過ぎれば、必ずや見境をなくします。大任を与えてはなりません」と言っていたというので、この頃から警戒信号は出されていたのかもしれませんね。


辛憲英女史からも、「鍾会は勝手に物事を判断するので、いつまでも人に仕えるような人ではないでしょう」


と、とにかく野心旺盛で、女性からも警戒される男、鐘会様。


三国志ゲームで、やたらと魅力が低いのもうなずけます。


世説新語のエピソードにもあるように、


・子供時代、鍾繇の酒を兄の鍾毓とともに盗み飲んだ。鍾毓は拝礼をしてから飲んだが鍾会は拝礼をしなかった。それを見ていた鍾繇が「なぜ拝礼をせずに飲んだのか」と尋ねると、「そもそも盗みというものは礼から外れていることなので、拝礼をしませんでした」と答えた。

・ 甥の荀勗が母(鍾会の姉)に預けていた高価な剣を、荀勗の筆跡を真似て騙し取った


知力はあるけど、生意気で可愛げがない。盗みを働いたりと、大軍を率いて蜀を屠った功績がある一方、けちなエピソードが結構あります。


ウィキにもあるように、曹髦や司馬望・王沈・裴秀らと文学論を気軽に話したり、サークル活動をしている微笑ましい話もあります(笑)。

だのに・・・何故曹髦閣下を守って差し上げ無かったのじゃ・・・!。゚(T^T)゚。


長くなりそうなので、次回「蜀討伐編」で!

絶対見てくれよなっ!(ノ゚ο゚)ノ




三国志演義後半の文献はこちらから

三国志を知るためのおすすめ書籍…と参考文献リスト

鐘会part2へ


鐘会がんばれっ!と思ったら・・・こちらへ


三国志(歴史)ランキング


三国志演義後半ブログのお引っ越し!

$
0
0

どうも!


諸葛菜です!



アメブロで記事を書いてきましたが、無料ブログは突然の削除など安全性がイマイチのようなので下記アドレスに引っ越しました。



三国志演義後半の武将物語


まだ引っ越したばかりなので色々と…ボロボロですっ!


アメブロの過去記事は削除していきます。


どうぞこれからもよろしくお願いします。




Viewing all 106 articles
Browse latest View live