どうも!
諸葛菜です!
司馬昭から司馬炎へ王位が継承され、継承とほぼ同時に晋の皇帝となった司馬炎。
司馬家には大変忠実な賈充も、司馬炎に嫌われるどころか腹心として大活躍です。
三国志演義第120回。
晋・呉の国境では羊コと陸抗がにらみ合いを続けておりましたが、二人の仲が親密すぎるということで、呉皇帝孫皓は前線の大将から陸抗を外してしまいました。
民心はすでに孫皓からはなれ、前線の大将陸抗もいなくなったので、呉討伐の好機はまさに今!と、羊コは上奏文をしたためました。
しかし、これを極力諌めたのが賈充。
このため、羊コの提案は受け入れられること無く、羊コは失意の中病死。
この後、王濬、杜預が揃って呉を打つべしとの上奏文を送ってきたので、司馬炎は腹をくくって呉討伐を開始いしました。
ただ、演義には書いていませんが、賈充はかなり反対したようです。
この時代では、西方の異民族秦で大きな暴乱が起こっていましたし、これには司馬炎も大いに頭を悩ませていました。
馬隆らの活躍により討伐は成功しましたが。
さて、ご討伐ですが、極めて順調です。このまま一気に呉の首都も落としてしまえ
司馬炎は大喜びですが、賈充の意見はというと
「我軍はすでに久しく異郷に労苦を重ねてきておりますゆえ、風土にあたり、疾病をおこすことは必定にござります。いったんお召しかえしのうえ、後図を策するのがよろしかろうと存じまする」
この意見に、張華は大反対。
すでに敵中深く斬りこんでいるのだから、このまま突っ走るべしと主張。
賈充、この意見に激怒。
「そなたは天の時、地の利ということを知らないのか。みだりに功名心をかきたてて士卒を疲れさすなどとは、そなたを斬って天下の見せしめとしてもたりぬほどじゃぞ」
政治的な部分ですよね。
賈充は出兵に反対してきた人ですし、きっと宮廷の主戦派と反対派の争いがあったのでしょうね。
週刊ヤングジャンプで連載中の『キングダム』でも、秦VS6国連合合従軍で戦争反対派と賛成派に分かれて喧嘩していました。
晋が勝利しそうなので、賈充としても危機感を抱いたのかもしれません。
結局、呉を屠ることに成功するのですが、演義では賈充がつらい目に合うシーンはなし。
とっ捕まえた孫晧様に嫌味な質問をした挙句、逆に辱めを受けるというオチで終了。
賈充「聞くところによれば、孫皓殿には、つねづね人の眼を穿ったり、頭の皮を剥いだりされたとか。これはいかなる刑にござるか」
孫晧「臣下の身でありながらその君を殺したり、奸佞不忠の者には、この刑を加えたのでござる」
賈充は恥じ入って引っ込むのみ。
やれやれ。
賈充さんを書きを終えましたよ。てか、かなりいい加減だなあ…。
賈充はメジャーで、三国志マニアにはすでに知れ渡っている有名人だし、私もそれほど気になる存在でもないので、演義をなぞるようなまとめになってしまいました。
三国志演義後半の文献はこちらから