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Channel: 三国志演義後半人物事典 諸葛孔明死後の三国志の世界
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賈充 part.4 呉への出兵を必死に諌める司馬炎の取り巻き

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どうも!


諸葛菜です!


司馬昭から司馬炎へ王位が継承され、継承とほぼ同時に晋の皇帝となった司馬炎。
司馬家には大変忠実な賈充も、司馬炎に嫌われるどころか腹心として大活躍です。


三国志演義第120回。


晋・呉の国境では羊コと陸抗がにらみ合いを続けておりましたが、二人の仲が親密すぎるということで、呉皇帝孫皓は前線の大将から陸抗を外してしまいました。


民心はすでに孫皓からはなれ、前線の大将陸抗もいなくなったので、呉討伐の好機はまさに今!と、羊コは上奏文をしたためました。


しかし、これを極力諌めたのが賈充。

このため、羊コの提案は受け入れられること無く、羊コは失意の中病死。


この後、王濬、杜預が揃って呉を打つべしとの上奏文を送ってきたので、司馬炎は腹をくくって呉討伐を開始いしました。

ただ、演義には書いていませんが、賈充はかなり反対したようです。

この時代では、西方の異民族秦で大きな暴乱が起こっていましたし、これには司馬炎も大いに頭を悩ませていました。

馬隆らの活躍により討伐は成功しましたが。


さて、ご討伐ですが、極めて順調です。このまま一気に呉の首都も落としてしまえ

司馬炎は大喜びですが、賈充の意見はというと


「我軍はすでに久しく異郷に労苦を重ねてきておりますゆえ、風土にあたり、疾病をおこすことは必定にござります。いったんお召しかえしのうえ、後図を策するのがよろしかろうと存じまする」


この意見に、張華は大反対。

すでに敵中深く斬りこんでいるのだから、このまま突っ走るべしと主張。


賈充、この意見に激怒。


「そなたは天の時、地の利ということを知らないのか。みだりに功名心をかきたてて士卒を疲れさすなどとは、そなたを斬って天下の見せしめとしてもたりぬほどじゃぞ」


政治的な部分ですよね。
賈充は出兵に反対してきた人ですし、きっと宮廷の主戦派と反対派の争いがあったのでしょうね。
週刊ヤングジャンプで連載中の『キングダム』でも、秦VS6国連合合従軍で戦争反対派と賛成派に分かれて喧嘩していました。

晋が勝利しそうなので、賈充としても危機感を抱いたのかもしれません。


結局、呉を屠ることに成功するのですが、演義では賈充がつらい目に合うシーンはなし。

とっ捕まえた孫晧様に嫌味な質問をした挙句、逆に辱めを受けるというオチで終了。


賈充「聞くところによれば、孫皓殿には、つねづね人の眼を穿ったり、頭の皮を剥いだりされたとか。これはいかなる刑にござるか」


孫晧「臣下の身でありながらその君を殺したり、奸佞不忠の者には、この刑を加えたのでござる」


賈充は恥じ入って引っ込むのみ。


やれやれ。
賈充さんを書きを終えましたよ。てか、かなりいい加減だなあ…。
賈充はメジャーで、三国志マニアにはすでに知れ渡っている有名人だし、私もそれほど気になる存在でもないので、演義をなぞるようなまとめになってしまいました。




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