どうもっ!
諸葛菜です。
諸葛氏。三国志に登場する同氏はみな頭がよく、この姓のキャラが出て来ると萌えますね。
唯一燃えもしないのが諸葛緒さんです。
さて、今回は諸葛セイ。
三国志演義に登場するキャラのなかでも、かなり地味な諸葛氏ですが、その活躍を追ってみましょうっ!
初登場は三国志演義第112回。
父諸葛誕
が淮南で挙兵した際、独自の力では司馬昭軍団に敵わないと思い、呉に加勢を求めました。
担保じゃないけど、人質として嫡男の諸葛セイが呉に連れられて行きました。
結局、父上の諸葛誕は司馬昭に殺されてしまい、諸葛セイは帰る場所を失ってしまいました。
呉にとどまり、そこで青春時代を過ごすことに。
次の登場は第120回。
三国志演義最終回です。
最終回ってのが、とても嫌な気にさせてくれます。
散るためだけに登場するのかっ(゚д゚!!
この時代、すでに蜀は滅び、魏は司馬氏に乗っ取られて晋となっています。
呉の皇帝は孫晧。
陸抗もすでになし。
そんな折、ついに晋の大軍が南下。
丞相張悌 は迎撃プランを孫晧に提案すると、沈瑩、諸葛セイを従えて自らも前線に向かいました。
諸葛セイにとって、この戦が初陣なのでしょうか。
しかも、国の存亡がかかっています。
10万の兵を連れて行きましたが、前線はすでにガタガタ。
伍延(ゴエン)
、孫歆(ソンキン)
、陸景
も討ち死に。
現場に到着した諸葛セイはあまりのやられっぷりにドン引き。
相棒の沈瑩も、敗北を覚悟したのか、
「とりあえず破れかぶれに戦って、運良く晋軍を押し戻せたら我が国も安泰。玉砕覚悟で行ってみようか?」
と、悲壮な決意を語り、諸葛セイも
「いかにも」
と、カラカラになった喉の奥から一言を振り絞っていました。
これは・・・綿竹関攻防戦での諸葛瞻、諸葛尚親子のデジャブかっ!?
やっぱり、乱軍の中で討ち死にしてしまうのか・・・。
そう思っていたら・・・晋軍があまりに早い猛攻に、上流の友軍が敗れ始めた。
どーする!?諸葛セイ!?
「東呉ももはやこれまでにござります。降参されたらいかがにござりますか(´;ω;`)」
張悌閣下に直訴。
しかし、ご覧のとおり、張悌は最後の最後まで戦い討ち死にしてしまいます。
沈瑩も張悌に従い討ち死に。
諸葛セイは涙を流しながら立ち去った・・・。
ここで、演義での活躍は終了です。
「諸葛セイは戦ってないじゃん!」
いいんDEATH!
なんせ、時の皇帝は孫晧。
晋との戦争までに何人も忠臣、名臣を殺しまくっている恐怖の「大佐」ですから。
こうなっては、降参するも逃げるのも、討ち死にするのも個人の勝手です。
不正解はありません。
諸葛セイのとった行動も正解です。
最後まで戦えと言う人は誰も居ないでしょう。
諸葛セイが泣きながら落ち延びましたが、張悌、沈瑩との熱いやり取りがあったのではないかなあ・・・と妄想をふくらませてしまいます。
思えば、呉に来たばかりの頃は、司令官が孫チン
。
孫休
で一息ついたと思ったら、お次は暴君孫晧。
これじゃあ、愛着も生まれないでしょうな・・・、呉に。
諸葛セイのその後ですが、当然晋に降参しました。
いつまでも逃げられるわけもないし、逃げるにしても、中華から出ないと行けませんよね(^^ゞ
降参しても、司馬氏に父諸葛誕を殺された恨みを忘れてはいません。
大司馬を命じられても復命しなかったり、故郷に戻っても、洛陽には背を向けたたま生活していました。
でも、司馬炎は諸葛セイの友人だったので、また会いたいと思ったのでしょう。
司馬炎の叔父司馬伷(シバチュウ)
に嫁いでいた諸葛セイの姉の伝を使い、彼女の家に諸葛セイを呼び出しました。
酒宴がそこそこ盛り上がった頃合いを見計らって、司馬炎は、
「君はまだ僕のこと友達と思っているよNE?」
と、問うと、
「私は豫譲(戦国時代の刺客。主君の仇を討つため、漆を顔に塗り、炭を飲んで声を変えた)の真似もできず、こうして聖顔を拝することなった・・・」
司馬炎は気まずくなって帰宅。
調子に乗るなとばかりの諸葛セイのボディーブロー。
なんちゃって中華統一した司馬炎のウブなハートに思いっきりぶっ刺さったでしょう。
諸葛セイは三国志7にも登場。
諸葛セイ、諸葛恪
、諸葛瞻
、諸葛尚
の4人を同時に使って遊んだことがありました。