どうも!
諸葛菜です!
無双やゲームのおかげで、三国志後半ファン以外にも有名になった鐘会将軍ですっ!
鐘会(225-264年)
父:鐘ヨウ 兄:鐘イク
鐘会のウィキリンク 。
参考記事:鐘イク
許儀殺しの犯人ですっ!許チョファンの方は煮殺しても飽き足りないはずっ・・・∑(゚Д゚)
さて、鐘会。
こいつは三国志演義文庫本の最終巻の表紙を鄧艾と共に飾りました。
なかなかりりしい人形さんです。
鐘会の初登場(第107回)と言っても、名前ですが。夏侯覇が恐れる魏の若手2名、それが鐘会と鄧艾でした。
「気鋭の若者が両名ござる。実に呉・蜀にとって用意ならざる敵となるでござろう」
諸葛亮、関興、張苞らを失った蜀にとっては魏の気鋭の若者は勘弁願いたいところ。
夏侯覇も酒の肴にと、エピソードを紹介。
魏の皇帝曹丕に鐘毓と鐘会が謁見。
当時、鐘会は7歳、鐘毓が8歳。
鐘毓が皇帝の前でおそれおののき、満面、汗みずくとなっていた。
「おそれおおくて、汁のごとく汗が出るのでございます」
と、鐘毓が回答。
対する鐘会は、
「おそれおおくて、汗も出ませぬ」
と返答。
エピソードを交えて、姜維が後々苦労しそうな相手を紹介。伏線をバリバリと張る羅貫中。気合十分です。
鐘会のデビュー戦は第110回。
曹芳の廃位に怒った毌丘倹が義兵を挙げた回です。
司馬師は目の下のこぶを切り取ったばかりで療養中。
「こぶを切ったばかりで出陣したくない(_ _。)」
と渋る司馬師に対し、鐘会は、
「かの地の軍勢は盛況で、勢い当たるべからざるものがあり、めったなものを遣わされては、かえって味方の不利を招く恐れがござります。仕損じた場合は、ただごとではすみますまい」
最後の一言は、軽く脅しはいってませんかf^_^;。
のち、尹大目が司馬師の死期を予見しましたが、この時点で悟った鐘会。さすが、腹黒策士。この病体に対し、出陣をごり押しです。
毌丘倹の乱を鎮圧しますが、鐘会の思惑通り、司馬師は術後の経過が思わしくない&文鴦 の無双のおかげで死んでしまいます。
第112回では、諸葛誕が反乱。
司馬師の弟司馬昭が鐘会を呼び出し、諸葛誕を破る策を練ります。
鐘会が言うのに、
「呉の軍勢が諸葛誕を助けているのは、欲につられてのことに他なりませぬ。よって利を持って釣れば、必ず破ることがかないましょう」
司馬昭は、鐘会の言に従い、慰問の品々を置き去りにして諸葛誕の援軍に来た呉軍をおびき出します。
これを散々に破り、鐘会の計は的中。
鐘会は更に、
「いま諸葛誕は敗れたりとはいえ、城内に十分な糧秣をもち、呉の軍勢と掎角の計をとっております。わが軍は四方を囲んでいるものの、生ぬるいやり方では、敵を守りを固めましょうし、力づくで攻めれば命がけで斬って出てくるでございましょう。そこへ呉の軍勢に背後から攻められたら、味方に勝ち目はございませぬ。むしろ、南門を空にして、敵をわざと逃がして追い討ちをかければよろしゅうございます。必ず勝つことができます。呉の軍勢は兵糧にもこと欠いているのは必定。わが軍が糧道を断てば、戦わずして壊滅いたします」
これを聞いた司馬昭は彼の背を撫ぜ、
「そなたは、まことにわしの子房(張良)じゃ」
とご満悦。
諸葛誕を屠り、捕虜の処分を司馬昭らと協議。
参謀の一人が、「生き埋めにしちゃえば?」と、発言。
鐘会はこれに反対。
「いや、それはなりますまい。いにしえの大将は、国を全うすることを持って目的とし、その元凶を除くことだけでことたれりといたしたものでござります。彼らをことごとく生き埋めにするなぞは、もってのほか。むしろ国許へ帰してやって、中国の寛大さを見せてやるがよろしいと存じます」
「いかにも妙論じゃ」
と司馬昭も大賛成。全員、呉に帰しました。
この頃は、司馬昭からは鐘会の野心は見透かされてはいなさそうですね。
ただ、ウィキにあるとおり、王元姫さんからは常々「鍾士季は利に目を向けて義を忘れ、何でも自分でやりたがる人です。恩寵が過ぎれば、必ずや見境をなくします。大任を与えてはなりません」と言っていたというので、この頃から警戒信号は出されていたのかもしれませんね。
辛憲英女史からも、「鍾会は勝手に物事を判断するので、いつまでも人に仕えるような人ではないでしょう」
と、とにかく野心旺盛で、女性からも警戒される男、鐘会様。
三国志ゲームで、やたらと魅力が低いのもうなずけます。
世説新語のエピソードにもあるように、
・子供時代、鍾繇の酒を兄の鍾毓とともに盗み飲んだ。鍾毓は拝礼をしてから飲んだが鍾会は拝礼をしなかった。それを見ていた鍾繇が「なぜ拝礼をせずに飲んだのか」と尋ねると、「そもそも盗みというものは礼から外れていることなので、拝礼をしませんでした」と答えた。
・ 甥の荀勗が母(鍾会の姉)に預けていた高価な剣を、荀勗の筆跡を真似て騙し取った。
知力はあるけど、生意気で可愛げがない。盗みを働いたりと、大軍を率いて蜀を屠った功績がある一方、けちなエピソードが結構あります。
ウィキにもあるように、曹髦や司馬望・王沈・裴秀らと文学論を気軽に話したり、サークル活動をしている微笑ましい話もあります(笑)。
だのに・・・何故曹髦閣下を守って差し上げ無かったのじゃ・・・!。゚(T^T)゚。
長くなりそうなので、次回「蜀討伐編」で!
絶対見てくれよなっ!(ノ゚ο゚)ノ
三国志演義後半の文献はこちらから