三国志後半武将人物名鑑
はこちら
三国志前半の雑魚キャラはこちら!
↓ ↓
三国志演義前半戦!雑魚モブ武将を拾い読み!
どうもっ!
諸葛菜ですっ!
今回は孫登。
彼を知ったのはコーエーの三国志7をプレイした時。
ゲームの中盤あたりで登場する孫権の息子。知力、政治、魅力が比較的高めで、使い勝手も良さそうと思って、奥地の太守にしておいたら、すぐに死んじゃった^^;
配下武将になった途端、いきなり死んじゃったのでなんだこいつバグかと。
横山三国志はもちろん、吉川でも登場していなかった。
どこにいるのかと思ったら三国志演義に登場していました^^;
一瞬だけ。
三国志演義では
「孫登は徐夫人の腹。孫権も死んで、孫登も死んで、孫和も自殺して、結局皇帝の位は孫亮で落ち着いた」
みたいな感じで載っています。
孫登とは誰ぞや?
ウィキを見ればわかります。
ご覧のとおり、
・生まれは身分の低い女性の子供であった。
・そのため、孫権の妻の徐夫人のもとで育てられた。
・孫権の長男で頭も良い。
・人付き合いもとてもフランクな方で、側近の諸葛恪
ら優秀な若者たちとも友人づきあいをしていた。
・孫権が皇帝に即位してからは皇太子になり、諸葛恪ら側近もそれぞれ位が上昇。優秀な皇太子だったので朝廷も活気づいた。
・241年病気で死亡。
死の直前、孫権に遺書を書き、弟の孫和を皇太子に立てるよう遺言したそうです。
これだけでは味気ないので、拾ってきた孫登エピーソードを。
優しい性格だった孫登
・田んぼを荒らしたりしない孫登様
孫登は狩りに出かける時、田圃や畑を横切っていけば近道だが、それでは農民たちの農作物に損害を与えてしまうので、田畑を横切って荒らすことはしなかった。
・物事を見極めた孫登様
また、馬に乗って遠出をした時のこと。突然一発の矢弾が孫登めがけて飛んできた。側近たちはすぐに下手人を探し、矢弾と弓を持っていた男を捕まえた。側近たちは彼を犯人だと思っていたが、その男は「矢弾などはなっていない」と、否定した。側近たちはすぐにその男を処罰しようとしたが、孫登は許さなかった。孫登はその男の持っている矢弾と実際に飛んできた矢弾を見比べてみると、違っていたので、その矢弾は彼の物ではないと言い、その男を解放した。
・過激な処分をしない孫登様
ある日、孫登の使っていた金色の洗面器がなくなった。孫登は侍従がやったものだと思い、犯人を突き止めた。しかし、手打ちにはせず、口で厳しく説教をし、故郷へ帰した。また、この件を(犯人の名誉に関わるため)口外しないよう部下たちに言い含めた。
・孫登は恩義を大切にする漢
孫登は庶民出身であった。そのため徐夫人が彼の養母となって育てた。
その後、徐夫人は宮廷で嫉妬をかい、呉郡へ島流しにされた。当時孫権は歩夫人を寵愛していた。歩夫人は孫等に贈り物を与えたが、孫登は感謝こそすれ、受け取ることは無かった。
ただ、徐夫人が贈ってくれた衣服を着る時は、沐浴をしてから着用していた。孫登が太子になった時孫権に徐夫人を皇后とするよう要求した。
しかし、孫権は歩夫人を皇后とし、孫登の期待には答えなかった。
孫登、よく出来た子でした。
彼が死んでしまったから、二宮の変が起こっちゃったんですよね…。
これだけ優秀な跡継ぎが死んでしまっては、孫権のみならず、長年仕えてきた臣下たちもがっかりだったでしょう。
庶民に気を配るところも素敵です^^
田畑を横切らないなんて当然のことだろうけど(今の中国はどうだろ?^^;)、当時の中国においてはこんな人はほとんどいなかったでしょうね。
孫チン や孫峻 あたりだと、『カムイ伝』に登場する悪代官並に「ヒヒヒ・・・!」「ゲタゲタ・・・!」と、田畑を荒らしそうです。
孫家の家系図完璧じゃないけど発見したので参考まで。
孫登はこの辺ですね。
へえ~と思ったら!いいね!