どうも!
諸葛菜です!
三国志で老将と言ったら、黄忠、厳顔、盧植 、丁奉 ではないでしょうか!?
前半二人はともかく、後の二人はちょっと…な気がしないでもない。
三国志では老将ってのは、実はたくさんいます。老将だらけと言っていいのではないでしょうか。
登場した頃は若手でも時代とともに年は取りますし、若手の頃から活躍しているとどうしても老将というイメージがつきにくいものです。
黄忠、厳顔が代表的なのは、登場した時点でかなりの御年だったからです。
「蜀漢の三老将」って、耳に違和感はないものの、初めて聞く単語です。
っというわけで中国のウィキと言われる?百度で調べてみました。
蜀漢の三老将は黄忠、厳顔、そして・・・廖化!!
「ええ!廖化!?」
と、思った人が結構いるのではないでしょうか?
私もちょっと意外に感じましたが、言われてみれば、三国志演義後半では老将も老将。現場では、張翼 とともに大活躍したいぶし銀でしたよね。
諸葛亮 死後の活躍をざっと見てみますと、
238年9月、廖化は魏の国境に進軍。
郭淮
が派遣した王赟(オウヒン)、その救援に駆けつけた游奕軍を撃破。
オウヒンを討ち死にさせました。
248年 姜維
と共に羌族の治無載らを支援
。魏の郭淮らと交戦。
治無載が故郷に戻るのを助けた。
249年 姜維と共に雍州を攻める。トウ艾 軍に敗北。
姜維の周辺にはいつも廖化が!
黄巾賊
から成り上がった老獪な現場主義の武将廖化。年とともに衰えるどころか、諸葛亮亡く、現場で戦える武将が魏ほど多くなかった蜀軍を支えていたのはまさに廖化だったのではないでしょうか。
老将の域に達した廖化様
259年 右車騎将軍に昇進。
261年 諸葛瞻
が朝政を取り仕切り始めたので、宗預
に「一緒に諸葛瞻の家まで挨拶に行こうや」と声をかけたら、「何で先輩の俺らが挨拶にいくのじゃ?」と言われて行くのをやめた。
この辺りも、叩き上げの老将だからと威張るのではなく、若手に対しておおらかな態度で接しようとする廖化様のざっくばらんでお優しいお心遣いが感じられます。
262年 姜維とともに狄道に進撃。姜維の智謀は相手以上ではなく、力量も敵に敵わない、用兵も不十分。これで勝てるわけがないと苦言を呈しました。
結果は敗北。蜀軍は沓中に引きこもることに。
263年 司馬昭が蜀へ侵攻 。姜維とともに剣閣を守備。劉禅降伏。蜀滅亡。
264年 敗戦後、宗預と共に洛陽へ向かう途中に病死。
敗戦のショックと洛陽への長旅。老身には堪えたでしょうな…。
黄巾賊から最前線で活躍していたので、年齢は74歳から83歳の間であろうと言われています。
中国では三国志の三老将と言ったら、すぐに廖化が思い浮かぶのでしょうか?
好きな武将なので、とにかく注目されているようで嬉しいですw
三国志演義後半の文献はこちらから