諸葛京の記事を前回書きました。
中国サイトにて連環画(絵本劇画)に諸葛京がチョイと出ておりましたので画像を追加。
蜀が滅ぼされてから2年が過ぎたが、未だに東呉は健在であり、中国全土の統一は未だなっていなかった。晋の武帝は社会秩序を保つために、蜀漢の旧臣たちを採用した。その内の1人が諸葛亮の孫である諸葛京もいた。彼を以って人心を安定させた。
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五丈原に行ったせいか 、「諸葛」がマイブームです^-^
どうも!
諸葛菜です!
最近、
それと、検索してくださるキーワードが諸葛亮、諸葛尚、諸葛瑾とか・・・諸葛系が多いんですよね。
こんな期待にできる限り答えようと、がんばろうと思います。地味なキャラばかりだけど。
というわけで、諸葛京です。
蜀漢滅亡後、諸葛京は264年に河東(現:山西省)。
268年、晋の武帝司馬炎は羅憲
の推薦を受けて、
諸葛京、陳寿、費恭(費褘(ヒイ) の次男)などを招聘した。
諸葛京は史実にも唯一記載のある、晋朝に仕えた諸葛亮の孫である。
(三国志 裴松之の注)によると、諸葛京は才能があり、眉県の県令となった。
晋の大臣山涛も諸葛京を称賛し、県令時代に実績を積み上げて抜擢され、諸葛京は江州刺史となった。
諸葛亮の子孫は優秀だな~。
父の名声もあるかもしれないけど、きちんと実務が出来る子って、どこにいても活躍できますね。
三国志演義後半の文献はこちらから