どうもっ!
諸葛菜ですっ!
三国志末期のスター選手、王濬をまだ書いてませんでした^^;
王濬は船団を率いて、呉の丞相張悌
以下武将たちを蹴散らし、呉を降伏させたのは演義でも書かれています。
呉末期の五車星?( ´,_ゝ`)
孫歆(ソンキン) 陸景 伍延(ゴエン) 陶濬(トウシュン) 張象
孫皓の懐刀の宦官岑昏様が献策した、「川に大量の鉄の杭をびっしりと敷き詰めて、晋の船団を粉々にする」作戦を松明の火でドロドロに溶かしたという…優秀な将軍様王濬。
「松明の火で溶けちゃう鉄ってどーなのよっ!?」
と、ツッコミを入れたくなりますね^^;
そんな王濬ですがウィキにもしっかり書いてあります。
王濬は80歳まで長生きしたご長寿将軍。206年ー286年まで生きました。
二千石の官吏の家に生まれ、容姿に優れて博学だったのですが、とりわけ目立とうとはしませんでした。
その後、大志を抱き切磋琢磨したようで、徐バクさんの娘をもらい結婚。河東での任務につき、272年には広漢太守に任命され、羊コより推薦を受けて、益州太守となりました。
大志を抱いた彼は非常にワイルド!
大志を抱いた王濬は早速行動に出たっ!
手始めに自分の家を修築し、玄関の前に幅が数十歩もあるだだっ広い道を切り拓きました。
「こんな広い道作ってどーすんだ?」
と近所の人に聞かれ、
「俺はこの道いっぱいに儀仗兵たちを並ばせてやるんだっ!」
と王濬は答えました。
近所の人達は笑いましたが、王濬は、
「陳勝が言っていた。燕雀が大きな鳥の志を知ることが出来るか」
と一蹴。
今風に言うと、「海賊王に俺はなるっ!」とほぼ同義語でしょうか^^;(笑)。
徐バクの娘ゲット!
徐バクさんの娘と結婚したのも、王濬の男気に惹かれたから。
河東従事となった王濬の厳正な仕事ぶりに徐バクが惚れ、娘も王濬を起きに召したため、結婚と相成りました。
女が男を選んだというケースは珍しいですが、三国時代では割りとみかけますねw
羊コも彼の人柄を見抜き、自身の参軍事とさせました。
益州での仕事振り
王濬はその後、巴郡大守となりました。
巴郡は呉と国境を接しており、小競り合いが頻繁に起こったため、当地の男子たちは兵役に苦しんでおり、女性たちは男子を出産しても、育てようとせず棄ててしまいました。
王濬は法規を厳しく見直し、徭役を軽減させ、税を軽くしました。
このため、この群の子どもたち数千人が無事成年まで育てられたと言われています。
272年、広漢太守となった王濬は民衆から頼られる存在となっていた。
ある時3つの刀が家の梁の部分に刺さっていた夢を見ました。しばらくすると、また一本刀が増えました。目覚めた王濬は気味が悪く思っていましたが、主簿の李毅が、
「三本の刀は州の字を指しまする。更に一本増えたということは、益州の刺史になれることを表しておりまする!」
と、祝賀モードに。
しばらくして、盗賊の張弘というものが、益州刺史の皇甫晏を殺したため王濬が益州刺史に命じられました。
王濬は張弘を打ち倒し、子分たちも皆殺しに。
益州全体に広く善政を敷き、百姓たちから篤く信頼されるされました。
三本の刀の夢は王濬にとっては吉兆でしたが、皇甫晏さんにとっては死亡フラグだったんですね^^;。吉兆グラフも三国志には登場しますが、それも誰かの犠牲の上に成り立っているものが多いので、要チェックです。
にしても、益州刺史の座を間接的に与えることになった盗賊の張弘さん、お疲れ様でした^^;
この後、船団を作ったり、呉を滅ぼしたりと大忙し。長くなったので、それは次回でっ!( ゚д゚)
三国志演義後半の文献はこちらから