三国志後半武将人物名鑑
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三国志演義前半戦!雑魚モブ武将を拾い読み!
どうも!
諸葛菜です!
今回は劉備の子劉永です。
三国志演義のマニアックな武将の中では意外と名のしれた方ですよね。
ゲームにも必ず出てくるし^^;
グーグルで検索すれば結構出てくる武将なので、興味のある方はググって見てください。
さて、劉永。
世に有名な長坂坡の戦いで趙雲子龍が劉禅(亜斗)を救出しましたが、この時、劉永も助けられていたそうです。
父劉備が蜀漢の皇帝となると、劉永は魯王の位を与えられた。
230年劉永は甘陵王と改封された。当時は蜀呉同盟を結び、魯の地は呉との国境に近かったため、蜀漢は劉永の位の名称を改めた。
同様に異母弟の劉理も梁王から安平王へと変更された。
劉永は宦官の黄皓を憎んでおり、彼が劉禅に畳用されていた頃、黄皓は劉永を陥れるために劉禅との兄弟間の対立を煽った。そのため劉禅は劉永を10年以上も朝廷に参内することを許さなかった。
蜀漢の滅亡後、264年に劉永は洛陽に移された。
孫盛の《蜀世譜》によると、劉永の後継者である劉玄は劉備の血統を受け継いだ唯一正式の子孫であると言われている。
劉玄は劉永の孫である。
晋の時代の永嘉の乱(311年)の期間、中原は乱れ、劉備の血統は絶滅したと言われていたが、劉玄だけは蜀に逃げた。
当時蜀にこもって反乱をしていた李雄は劉玄を安楽公とし、劉氏の跡継ぎとした。
347年東晋が李雄を征伐した時、歴史家の孫盛は劉玄にあったことがあると言われている。
この他、面白いエピソードがこちらのサイトに載っていましたので抜粋しておきます。
リンク元:http://weekpedia.myht.org/index.php/%E5%8A%89%E6%B0%B8
・異母兄の劉封と同様に剛毅かつ勇猛果敢で、生まれたばかりの嬰児・劉永の奇っ怪な容貌を見た父・劉備は驚愕して「こ、これはわが家に禍を呼ぶ“鬼っ子”だ!捨てよ!!」と叫んだという
・しかし、母の甘夫人と趙雲の懸命な嘆願でこれを取り消させたといわれる
・だが、『長坂坡の戦い』で趙雲に救助された劉永は兄・劉禅とともに「この小癪な小童どものせいで、わしは良将(趙雲)を失うところであったわ!」と叫び、地面に投げ捨てされかけたが趙雲が懸命に受け止めたために事なきを得た。
・以降も、父・劉備に対する複雑な感情で接し、劉永は父を好ましいと思わなかったという
・しかし、異母兄の劉封は彼に優しく接し、また劉禅に飽き足らない法正・魏延らも、劉永を頼もしく思っていたという
・同時に文治派の諸葛亮・劉琰(リュウエン) らからは劉封とともに警戒され、趣味の笛を吹いて気を紛らわせたという
・異母弟とされる劉理は実は甥であり劉封の子とされる
weekpediaさんの信憑性はわかりかねますが、面白いエピソードですね^^
劉理が劉邦の子だったかもしれないというのはちょっと驚き。
劉永は剛直な性格で魏延
や法正から頼もしく思われていたとのことから、主流派の諸葛亮
からはよく思われないでしょうな…。
姜維
主導の北伐の頃も、冷や飯食いだったのかな・・・。戦場に出てくれば面白そうな皇子ですね。
蜀漢滅亡寸前に劉諶 (リュウジン)と示し合わせて兵を率いて戦うとか。
しかし、生まれた瞬間に父劉備から殺されかけていたとは…。
なんだかんだで、劉備は子どもたちに冷たいよなあ…。