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Channel: 三国志演義後半人物事典 諸葛孔明死後の三国志の世界
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姜維 最終章 トウ艾をシバイて鐘会とともに爆ぜる

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どうもっ!

諸葛菜です!


蜀漢のラスト・サムライ、ブルファイター姜維の最終章です。


三国志演義後半人物事典 諸葛孔明死後の三国志の世界



過去記事:

姜維 part1 孔明イズムを受け継いだ天水の麒麟児!!


姜維part2 夏侯覇が味方に!費褘の抑止もきかず、北伐に踏み切った!


姜維 part3 司馬昭を追い詰め 徐質、郭淮を討ち取ったどお~!


姜維 part4 久々の勝利!魏の王経を倒す!そして、鄧艾登場


姜維 part5 VS鄧艾!北伐は続く…犠牲はたくさん。でも挫けない。


姜維 part6 不屈の闘志で戦い続ける男 もう気持ちだけ


姜維 part7 黄皓を詰めることができず…攻め寄せた魏の大軍と大決戦!


姜維 part8 剣閣に立て籠もるも降伏 鍾会とともに反乱




前回までのあらすじ

諸葛亮に敗れて蜀に身を寄せ、諸葛亮孔明が没して後、その遺志を受け継ぎ魏への無謀な北伐を繰り返した。
時たま勝利を治める事はあったものの、魏の名将陳泰、郭淮 、トウ艾らに惜敗すること多く、諸葛亮の念願である北伐を成功させることはできずにいた。

三国の最弱国蜀漢が、幾度となく大国魏に挑発的な行為を行なってきたため、魏の実質的な支配者司馬昭が激怒。
ついに蜀漢討滅作戦を実行した。


トウ艾鐘会 率いる精鋭部隊。

更に涼州付近の大名共までが加わり、蜀漢の諸郡を制圧した。

諸葛亮の息子諸葛瞻 、その子諸葛尚 が討死。傅僉 も討死。

剣閣に立て籠もった姜維だったが、劉禅の降伏を知り、鐘会軍に投降した・・・。



さて、三国志演義第119回。
司馬昭と邵悌が、すでに鐘会の腹の中を読んでいることなどつゆ知らず、鐘会は日夜姜維をテントに呼び、謀反の計画を立てていた。


鐘会は司馬昭よりトウ艾を捕縛するよう命令を受けていたが、名案が浮かばない。
姜維は早速その賢い頭を回転させ、


「まず監軍の衛カンをやってトウ艾を捕らえさせることにするのがよろしゅうござろう。トウ艾が彼を殺そうとしたなら、謀反が明らかとなるわけで、そこで将軍が兵をおこして討たれればよりのでござる」


・・・ヒデエ!


姜維、衛瓘(衛カン) をリトマス試験紙としてトウ艾の元へ送り込み、「赤(血)」が出たら◎。トウ艾討伐のGOサインを貰えるってわけです。


しかし、衛カンはあっさりと二人の企みを看破。
単独で捕縛に出ず、諸将に対して「トウ艾謀反企む、よって捕縛しよう!」という檄文を発布。


怒った諸将と共にトウ艾の屋敷に殴りこみ、捕縛後囚人車にぶち込んだ。



鐘会、姜維が現場に到着。


鐘会はトウ艾の首筋に鞭をビシリっ!


「牛飼いの小童めが、ですぎたまねをしおって!」


大勢の前で大変な侮辱です。
日本的に言うと、トウ艾も武士。
ここまで虜囚に辱めを与えるとは、さすがチャイナっ!


「下郎めが、身の程もわきまえずに功をあせりおって!思い知ったか!」


姜維も早速鐘会の尻馬に乗る。


無双をきっかけに姜維好きになった貴方・・・、これが姜維の真骨頂だっ!( ゚д゚)


トウ艾を捕らえた鐘会はホクホク顔。
威勢を大いに振るい、姜維も得意のヨイショ攻撃。


「殿はすでに大功を立てられ、司馬昭すらしのぐ勢いになった。この上は、船に乗って行方をくらませ、峨嵋山に登られ、積小師に従って遊んだらよいではありませんか」


引退して遊んだら?ってことでしょうけど。


鐘会も笑って、


「身どもはまだ40にもならず、脂ギッシュになって頑張るのはこれから。世を避けることもあるまいに」


「それをお考えでないと仰せられるのなら、早々になさるべきことがおありのはず。これは殿のご才知を持ってすれば容易いことゆえ、それがしごときの出る幕ではござりますまい」


「さすが、伯約、よう身どもの心を見ぬかれたな!」


お前みたいな野心丸出しの男、誰がどう見ても何を考えているかはお見通しです。


姜維は鐘会を見事に煽り、持ち上げ、蜀で反乱を起こすよう仕向けます。


このへんの謀反作戦のシナリオは、孔明の残したj兵法書にもやり方が書いてあったのか・・・それとも姜維の思いつきか。


毎日のように熟議をこらしていましたが、姜維は劉禅へ書面を送付。


「必ず傾いた社稷を再興し、漢室をむざむざ滅ぼすようなことは決していたしませぬ」


漢室への熱き思い。
姜維、逆転なるか。


司馬昭の大軍が長安に迫った。
トウ艾捕縛だけなら鐘会軍だけで十分なはずなのに、これは明らかに司馬昭が鐘会を疑ってのこと。


鐘会は焦りを覚えて、姜維と相談。

姜維は冷静に答える。
「主に疑われては、臣たる者は一命を全うできぬ」


姜維は更にひと押し。


「亡くなった郭太后から遺詔を賜ったと言い立てて、司馬昭を討つよう諸将に協力を求めればよい。殿の大才をもってすれば、中原を席捲することも容易いこと」


鐘会もこの意見に賛成し、


「明日、宴席を設けて大将たちを呼ぼう。異議を申すものは叩き斬ってやる」


姜維は心中ほくそ笑んだ。( ̄ー ̄)



このくだりはこちらを参考。

劉備になりたかった鐘会さん


胡淵、反鐘会軍結成。



姜維

「大将たちの様子を見るに、みな不服の様子。穴埋めにしたらよろしゅうござりましょう」


姜維の無茶苦茶なアドバイスを聞いた鐘会も、「棒を何千本も良いしてあるから大丈夫。殴り殺してやる」と、わけの分からない回答をしているし、もう失敗フラグが丸出しです。


結局この企みは胡烈により、諸将に漏れてしまいます。


事件前夜、鐘会は無数の蛇に噛まれる夢を見、姜維に相談したところ、


「龍や蛇の夢を見るのは吉兆でござる」


これを聞いて喜ぶ鐘会もアレだよなあ・・・。


鐘会の篭る城に諸将がカチコミをかけてきたので、姜維、鐘会は応戦。


鐘会は討ち死に。


姜維も必死になって奮戦しましたが、胸の痛みが激しく昏倒しかけたので、


「わが計破れたり!これも天命か!」


と、絶叫し、自ら首を刎ねて死んだ。


衛カンは姜維、鐘会を討ち取ったので、兵士たちの興奮を抑えようとしたが、兵士たちはいきり立ち、姜維の腹を裂き、胆を取り出した。


鶏の卵ほどあったと言われている。


姜維、最後は残念な結末でした。
しかし、手段はともかく、ドサクサに紛れて自分が蜀を乗っ取るのではなく、あくまで漢室を再興しようとしているのは素直であると思いました。


姜維については賛否両論ありますよね。
姜維の攻めるは守るなりの積極的北伐のお陰で、公明死後30年長らえた。
方や、連年による出兵で蜀の人民に多大な犠牲を出し、国庫をすり減らして行ったという・・・。


まあ、いずれも合っていると思います。


姜維の回はこれにて終了。


ですが、日本でも中国でも姜維の功罪についてはいろいろと語られていますね。

その辺の話も今度取り上げてみたいです。


姜維散る


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